ブログ「園生(そのお)」について

お知らせ

さざれ石

『(君が代)の「さざれ石」、だそうです。』

「園生(そのお)」
後醍醐天皇が落城の折、落ちのびた女官が奈良の月ヶ瀬で村人に助けられ手厚い介護により一命をとりとめたことから月ヶ瀬の地に永住を決め、青梅から作る鳥梅(うばい:紅花染め、口紅、頬紅に欠くことができない存在)の製法技術と販売手法を村人に教えました。鳥梅の高価さに村人は驚き、山は梅林と化していったと伝えられています。その女官が「園生(そのお)」姫です。
園生姫の行動や村人の意思からうまれる効果が、幸せのデザインの一助になるものと思っています。

『虹子』
ここは、ブログ欄ではなく「お知らせ」のカテゴリー欄です。私が入り込むべきところではないのですが、すいません、先生が考え込まれているので、心配で!。


【高塚】
どうして気になるんです。ブログは読まれているのだろうか、と。
懸命に努力して書いているつもりなんですが、残念ながら「やっぱり!」ではないかと。
ただ、自分で決断してブログは書き続けるのだと目標を立てた以上、それは押し通していかなければならない、目を背けてはならない。
が、しかし、その理由を問わねばならないのです。
答えはいたってシンプルなもの。読んでスカッと頭に入らないということだと思うのです。


『虹子』
先生は、頑張っておられますよ。


【高塚】
ありがとうございます。認めたくはありません。しかし、アクセス数が物語っています。
では、なぜスカッと頭に入らないのでしょうか、その答えはいろいろと思いつきますが、ひとつは租税法がもっている「公平性」に対するこだわりだ方もあると思うのです。


『虹子』
よくわかりません。もう少し具体的にお話をしてください。


【高塚】
え~と~、簡単にいうと「事実」は何かということえを考えてしまうということです。個人の「行為」にはその「行為」に至るまでの理由、原因、関係者の思いなどがあり、「行為」は同じであっても、人それぞれが「行為」に至るまで事情によって事実が異なるものです。そのために課税要件事実を考えてしまいすぎて、結論を言いきれない、確かにこうも言えるけれども、ああも言えそうだ。理論があちこちのに飛び、爽快感がでない・


『虹子』
それは、租税法のもっている原点みたいな、そうあってしかるべしというような領域のものではないでしょうか。先生のもっておられるスタイルですので、さらに成長していけばいいことであって、なんだか面白い、わりといいという方もおられるはずです。


【高塚】
なるほど。なるほど。


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